助かった!

限界だったんだと思う。はあっー。まー、人生色々!誰が、親族か、わからず、であう人が、皆親族に思えた。だから、皆、幸せであってほしかったのに、何か、私は、纏まりがない。それが、結論。もっと、賢かったら、良かったのに!ネットをしていて、ニュースを見ていたら、画面を、操作をしていないのに、再三、切り替わり、漸く、落ち着いた画面が、マナー講習案内、年収200万をきっている、私には、その金額を見て、驚かされた。若かりし頃で、働いてお金を得られていた頃は、身だしなみにも気を配り、ウォーキングの練習等もしていたし、ワインのたしなみなどもしたこともあった、又、テーブルマナーも高校で教わったりもした。今の時代と様式は、違うようだが、TPOにあわせた服装をしていたこともあった。だが、2度目の夫が、貧乏だった為に、双子のような子供達を育てながら、暴力を受けながら、仕事もしていたから、そもそも、時間的ゆとりもなく、子供達が、病気がちであったりしたのだが、何故か、二人の子は、同時期や、前後において、違う病気にかかってしまい、双方の対応の仕方が、違った為に、寝る暇が、ないぐらい、忙しかった。子育ては、そんなものだろうと、昔の母親像を思いだし、マナーは、捨てた生活に勤しんだ。元々、養父母の家では、君づけで、呼ばれ、男の子扱いで育てられ、家族の会話など、ないに等しい家だったから、人との交流の仕方、間合い等は、未だに、教育されては、いない。養母が、人嫌いだった事もあり、本の好きな人だったので、余計に、私との会話は、なかった、おかげで、本好きには、なれたのかもしれない。だから、子供達への言葉かけには、難儀をしてしまう。又、養母は、実は、子供嫌いだったから、話しかけると、ものすごい剣幕で、喧嘩ちょうで、かえされ、二の句が、つけないうちに、養父に、わめき散らす人だったので、一般家庭で、育った人とは、まるで、違う育ちだったのでは、ないかなー。養母に教えて貰ったマナーは、脱いだ靴は、揃える。ぐらいかなー!地域性と時代も違うんだろうなー。札幌は、どちらかというと、目上の親でも友達感覚だし、先生と生徒でも、とてもフランク!少し、礼節が、足りなすぎるかも、という印象は、子供を持ち、関東から、郷里に戻り、子育てしていて、微妙にカルチャーショックを受けたけど、最近、昔ながらだなーと、馴染めて来たところかなー?地域で、マナーの感覚は、違うし、各家庭でも、多種多様、2度結婚し、2度子育て、してきた中で、1度目の夫のお母様は、3人、お子さんを育て上げているベテランのかただったし、私が、結婚したときは、既に、他のご兄弟も結婚され、お孫さんもいらっしゃったから、私の妊娠を知り、とても、優しくしてくださり、よく、田舎のお野菜や果物を、御家族全体で、送ってくださり、孫が、体調が、悪いことを知ると、一生懸命、一緒に悩んでくださる方々だった。運悪く離婚し、子供を手放すはめに、陥らざる状況が、うまれ、2年ほど、塞ぎこみつつ、仕事をしていたが、縁あって、2度目の夫とであい、子供を引き取って、結婚してほしい。と言われ、又、更に、一年、熟慮して、子供を手放す事を、決めた。そして、再婚をすべきか、思い悩んだ。自分の仕事が、順調だったから、無理に結婚することもないかなーと思い悩み、まわりの人にも、相談したりした。結局、おしきられる形で、結婚する事になった頃、妊娠し、決心する事にした。2度目の夫の母は、元々、私が、夫より、年上だったので、反対していて、遊びにしなさい、子供をおろしてもらいなさい、等、電話や手紙を、してくるかただったので、とても、閉口した。妊娠中、夫の実家にうかがう際に、飛行機の中で、微妙に体調を崩し、体調復帰の為に、トイレに並ぶものの、物凄く混んでいて、到着ロビーに出るのが、遅れたら、猪突猛進のごとく、わめき散らされた。やれやれ、と思いながら、数日を共にさせていただいたが、しきりとお金の話が出てきて、又、結婚式を養父母との間ですると一方的に言われ、当時は、私の実父母だと名乗る人がいたので、その人との間で、したいと申し出、養父母とは、変なしがらみが、あるから、お断りするとしたのだが、一軒家を持っているのでしょう、財産として、貰えるのだから、養父母から、支援を受けれるようにしときなさい。と言われ、御自身の姉妹が、養女に出られていて、養女先の資産を受け継がれた旨のお話ともう一方のお姉さまが、ご実家を受け継がれ、財産が、1円も入ってこないことを、口惜しがられていた。まるで、待ってましたと言わんばかりの勢いだったが、お断りした。後日、私の知らない間に、夫から、養父母の連絡先を聞き出し、私の知らぬ間に、結婚の挨拶の段取りを、取りつけていた。勝手なまねを、しないでください。後々、混乱の種にしかならない、と言ったが、非常にマイペースな人で、嫌だと話しても、耳をかさないから、この方は、コミュニケーションが、とれない方なのでは?と強引さとあつかましさに閉口した、その後も、孫の洋服を仕立ててやった、と送りつけられてきたのだが、孫の体の寸法も聞かずに、作ってやった、とされ、サイズが、小さすぎて、残念ながら、着せれなくて、その旨を、私から、話すより、夫から、話してとお願いしたら、生地代と仕立て代を請求された。何を頓珍漢なことを、と思いつつ、貧乏だったので、お支払したいが、持ち合わせがない、と話すと、養父母に頼めばいい、と更に、頓珍漢なことを言われ、まともに会話が、成り立たないやー、と閉口してしまった。万事が急須、そんな立ち居振舞いを、され、むしんされていて、その手間の多さに閉口。更に、嫁の方が、学があり、生意気だと喧嘩を売られる始末、どういうもんだろうと思いつつ、お母様が、私より、お上手な所を、ほめていた。でも、何から、何まで、上でなければ、気がすまなかったようで、対応仕切れなかった。教わったマナーは、魚のお頭つきは、家長が、食べるもの、ぐらいだろうか?あまり、外食をされないかただったので、東京を案内し、レストランにお供した時は、大変緊張されていて、フォークとスプーンの使い方を、教えた。緊張して、味が、よくわからなかった、と言われて、申し訳ないことをしたなー、と思った。リラックスさせてあげれなくて、マナー違反な自分の不出来を悔やんだものだ。
養母も養母の友人も、確かに、一攫千金の話が、好きだった、総じて、多くの人は、棚ぼたを、待っているんだなーと感じた。貧しくとも、お金持ちでも、それが、普通なんだなーと、漸く、気がついた。確かに、そんな気持ちを、懐いたことは、あったなー、でも、何だか、自分が、惨めな気持ちになったような気分になって、邪な想念は、振り払わなきゃ、と思いながら、日々を送る努力をしてきた。そのせいか、外見、昔は、農家さんは、質素だった気がして、嫁ぐんだったら、農家さんが、いいなーと思い、20代は、農家が、ご実家の方を、心に懐いていた。偶々、2度、そういうかたとであい、結婚話になり、結果的に、2度目に知り合ったかたと、結婚させてもらった。私の中のイメージは、農家さんは、実直だと思っていたので、その時は、幸せだったなー、ただ、当時の夫は、サラリーマンだったから、一寸ばかり、様相を呈していたんだけど。私の友人達は、私の事を、玉の輿にのったと騒いでいたらしく、何故か、2度目の夫が、死んだときに、喪が開ける前に、1度目の夫と結婚した時の戦利品をどうしているんだ、と聞かれた。そう言えば、2度目の夫の時に、よく、私の貴金属が、無くなり、非常に不思議だった。と言っても、2、3万の指輪が、4個、全部贈り物だったし、あとは、何処の方か、忘れたが、譲ってくださった純金そうな指輪、1度、その指輪らしきものが、質種になっているのを、テレビで、見かけたが、当時は、お金が、なかったので、買い戻せないかと、思ったが、指を加えて、見ているしかなかった。何となく、似ていただけだから、わからないのだけれど!誰が、持ち出したのか、夫を疑いつつ、義母を疑ったりもしたが、元々、貴金属に、さほど、興味が、なかったから、まー、いいやー、と深く考えるのをやめていた。
因みに、前の夫から、貰っていた指輪は、分不相応だったから、離婚前に、お返しをして、夫の何かの支払いの足しにしてもらった。今、振り返ると、なんて、私は、欲が、なかったんだろうと、一寸、後悔かなー?
何となく、養父が、宵越しのお金は、持たない方がいいとお酒に溺れていた人だったから、そんなものなのかなーなんて、考えたりもしていた。何処から、お金を手に入れていたのか、私が、小学生の時は、毎晩、午前様で、街からタクシーで、帰ってくる人だったから、まだ、幼かった私は、大人の男性は、こういうものなのかーと、毎晩のように、帰ってくると、叩き起こされて、元気に余力のある時は、晩酌に、付き合わされて、ひどい目に、あっていた。ぐでんぐでんに酔いつぶれると、養母と布団まで、引っ張ったり、担ぎかける手伝いをしたり、時には、吐かれて、掃除に大わらわ、よい時代だったのか、悪い時代だったのか、よくも悪くも、私の小学生までの思い出。まー、結局、アルチュウだったと言うことなんだが!昭和初期の生まれの人だから、そんな時代だったんだろうなー、と、まわりの大人達を見ながら、思っていた。今の若い人は、ぎゅうぎゅうに締め付けられているようだから、何となく、かわいそうだ。昔は、食べ物の種類こそ、少なかったが、天然を食することが、出来た。特に、わが家は、養父が、毎晩、薄野に行っていたし、養母も服を仕立て貰うのが、好きな人だったので、今にして思えば、物凄い浪費家だったような気がする。タクシー代とて、現在の水準にすると、片道6000円か7000円位になるんじゃないのかなー?月に140000位かー、それに、飲食代、1回に一万近くかかるような話を聞いたことがあるから、200000位なのかな?これだけで、340000、バブル前だったと思うから、よくお金が、あったものだと思う。朝も、起きれずに、タクシー通勤していたから、会社に、毎日、二日酔いで、行き、幼心に、大人って、何しているんだろう?と、物凄く、不思議だった。いつ、仕事をしていたんだろう?中学になった頃は、その職場を辞めて、違う会社に入られた。少しは、仕事を始めたのかなー?と思ったのだが、やっぱり、部下を連れて、毎晩のように、飲み歩いていた。又、仕事しないのかーと呆れていた。それから、ほどなくして、養父は、入院を繰り返すようになっていた。滅茶苦茶な生活ぶりだったから、入院するのも、当たり前だよなー、と子供ながらに、思っていた。入院、退院の間は、ほとんど、家で寝ている人だった。たっぷり寝ても、いつも眠そうな顔をしていて、いつか、私も、こんな風になるのかなー?と、その頃は、実の親と思っていたので、自分の老後を心配したものだ。その頃、養父は、40代だったんじゃないかなー?

何かなー、偽物貴金属の話が、出ていて、不思議な感じを受けた。
なんか、まだ、あら探しをされているのかなー?10年、あら探しを、され、集ストを受けてきたのに、まだ、何か、出ると思っているんだろうか?暇だなー!集スト受けていたから、人付き合いを、避けていたのに、わからないのかなー?寝ぼけているんだろうか?集団的自衛権!民間人狙うのも、いい加減にしてもらいたいものだ。
故人が、死亡する事になったのだって、中途半端な個人情報収集で、始まったことの癖に!私が、養父母から、虐待を受けていた話が、抜けているじゃん!片手落ち。被害者いじめ集団なのかなー?だから、指摘するんだよ!
いったい、どんな調査をしたんだろう?端に、殺人をするのが、目的だったのかなー?嫌らしいな。それで、特定秘密保護法案?随分、いきがっているよね。往生際が、悪い。でも、おかげで、元気が、出ると言うものだが!冤罪とかなきゃねー。
まー君よかったね。個人的には、新天地を開拓して、ほしかったなー。
まー、高い金額で、契約できるのは、とても喜ばしい事、頑張りに、期待したい。