泣いたり、怒ったり、笑ったり!

今日は、テレビを見ながら、労をねぎらってくれたのかなーと勝手に、想像して、この50年の苦痛を思いだし、涙が、溢れ感情が、ほとばしった。勝手な錯覚だったと思うのだが、今までの辛い人生が、あまりに、衝撃的すぎて、どうして、普通の家庭では、なかったのかと、運命を呪うしかない。だけどなー、先進国なのに、何処の機関も、正常に機能出来ずに来た。まず、その事が、不思議でならない。様々な妨害が、重なり、積み上げられてきた人生なんだろうけれど、そこにいたる経緯が、どうしても、腑に落ちない。時代背景が重なり、偶然が、重なった、運の悪い私だったのだろうと思うけど、承服出来ないことだらけ、私は、最初は、友人の家族に事態を相談してみて、解決法を模索した。次に、知り合いの大人に相談し、次に、教師に相談し、卒業後は、友人に救いを求め、避難ばかりする人生となっていた。常に、安定というものがない、サバイバル人生、区役所、警察にも行って、事態解決を模索した。ただ、その時は、養父母が、お金がほしい執念で、私の戸籍修正をしてくれず、ストーカーとなられ、お金の無心を受け続けていた。故に、私は、どんなに働こうとも、貧乏だった、貯金が、好きだったので、働きながら、看護学校に通い、幾らかの蓄えを持ち、看護学校をやめさせられたので、その後、英語の勉強等を試みた。車の運転が、私の唯一の救いだったから、運転技術を磨くために、ラリーやジムカーナをしていた人に、運転を享受して貰っていた。兄と言う人が、無線をしていたので、無線で、話が、出来ないかなーと無線の勉強をした。それから、暫くして、結婚相手に廻り合い、養父母から、お金の無心を受けていることを説明し、了承してもらい、結婚の運びとなった、結納の際も、養父母は、お金を多く欲しがり、金額を下げさせるのが、大変だった。結婚式でも、招待してやったのに、ホテルにつくなり、文句ばかり言われた。その後も、それとなく、お金の無心を受け、閉口した、更に、義父母の家から、農産物が、ほしくて、勝手に連絡を、とられていた。義父母に申し訳なくて、相手も程々にした方がいい、と、養父母の病気の事も伝えて、出来るだけ、絡まれないように、気を付けてもらっていた。2度ほど、札幌に帰省をする事が、あったが、養父母宅には、1時間位しか、いないようにして、出来るだけ、距離をあけた。結婚していても、共働き、妊娠し、流産しかけたので、仕事を辞め、内職にきりかえた。出産を終え、離乳食を、アトピー対応に、すべて、無農薬で、手作りとした。平行して、通信教育を二つし、内職もした。だけど、子供の体調が、崩れたので、外で働く事にした。ヤクルトの訪問販売をし、ヤクルトの保育室を利用させて貰った、又、子供が、体調を崩したので、仕方なく仕事を辞め、次の仕事を探した。次の仕事が、決まり、保育園も決まり、約2年働かせてもらうなかで、夫の関係の女性が、あらわれ、ストーカーをされてしまい、子供の身が、危険になったので、離婚するための準備に入った、子供を手元においていると、女性が、しつこいので、田舎での引き取りを打診した。それから、転職をし、2度目の夫とであった、私の方は、離婚が、成立していなかったので、思い悩んだ、仕事と育児は、続けていたが、どうも、17才の時、養父母が、借金を抱えた事から、狙われていたことが、わかった、背景が、よくわからない中で、弁護士に相談したり、行政機関に相談し、対応していた。でも、不思議だったのだが、相談した相手が、私への嫌がらせをしていた親戚の方に、なっていたりもした。各自考え方が、違っていたから、対処してもらえる場面もあった。今にして思うと、何だか、不思議な話だ。同情してくださったのか、そんなことばかりが、続きながら、育児、仕事もしていた。本当に寝る暇が、なかったなー。皆、私の養父母の人物像に、騙されていたから、しょうがないと言えば、しょうがないのかもしれない。この10年の間に、漸く、私の話に耳を傾けてくれる人が、現れたが、集団的自衛権が、邪魔となり、人間関係をぶち壊されてきた。日本って、とても狭いんだなーと驚くばかり、50年の間には、色々な事があったなー、振り返ると、たった一人の人生に、こんなに、多くの人が、関わっていたのかと、驚くばかり。日本は、平和だ。苦労しているのは、自分だけと思っていたんだけど、立場が、違って、皆、苦労している、何か、その努力が、見栄かくれして、日本人で、良かった、と思えるようになってきた。外国は、映像でしか見たことが、ないけれど、又、違った魅力に溢れているのだろうな。この年になると、体力もおちたこともあり、今更、日本を出なくてもいいや、と思ってしまう。因みに、防衛省、凄く、頑張っているとは、思う。22日の日記の後に書いているから、一寸、矛盾を感じるだろうけど、311で、大変だったのに、むちうつことばかり言っているけど、万一、戦争なんか起きたら、この比では、ないと思ってしまう。備えあれば、憂いなしで、頑張ってほしい。底辺では、もっと苦労している人もいるのだから!その上にいることを、忘れないでほしい。どうかすると、疲れてしまい、忘れがちになってしまうし、まひしてしまうかもしれない、今まで見てきて、様々な疑問が、あった、ここは、どうしてこうなんだろう?と。果たして、行き届いていると、言えるのだろうか、多分、普通の人は、充分していると評価していると思う。でも、まだ、足りていないように感じてしまう。意識の違いかな?
札幌に住んでいて、外国人が、旅行にこられる、何度か、遭遇したんだけど、札幌駅から、定山渓まで、平然と歩かれる、そのスタミナを見ながら。日頃、訓練で、やってらっしゃるのだろうけど、おいついているのかなー?なんて、思ったりもする。そんな光景を思い浮かべ、時折、私も、長距離を歩いたり、自転車に乗ってみたりしてしまう。女だてらに。なんだけど。防災の備えかな?散歩がてら、交通費を浮かしつつ、体力と気分転換をはかる。一石四鳥!