昨日、オープンカレッジをみつけたのと手紙のおかげで、少し元気を取り戻した。気分が、良くなり、運動不足だったことを思いだし、ジャグリングに、取り組むことにした。ピアノの練習もしようかな・・と思えた。単純だなー私は!ピアノと言えば、リチャード・クレイダーマンさんが懐かしく、名前を思い出せずに、検索に手こずりながら、ようやく、聞くことができた。昔の事が、すっと出てこなくなり、年をとるのは、せつないなーと思いながら、講義を見、公式の美しさに、再度、見惚れてしまった。幸せな時代になったなーと感じつつ、ピーター・フランクルさんを検索、子供達との思い出に耽ってしまった。昨夜は、大好きなロボットの番組も見れて、とても幸せな、ひとときを過ごせた。これで、そばに子供達か、故人が、いてくれたら、この上ないのになー、と物思いに耽った。何にせよ、久しぶりに、めいいっぱい、数学や物理や音楽や映像を楽しむ事ができて、ワクワクした。この気持ちが、持続出来るといいのだが!やっぱり、勉強出来るのが、何より楽しい。主婦らしくないが!学問は、生涯続けられるから、ほっとする。子供達にデーターを、送ってやりたいものだ。最近、勉強に目覚めて、楽しんでいるようだし、楽しく思えるのが、何より。
昨日、不思議な番組を目にした。課題に取り組んでいるようで、革新的だなと思った。様々なコンプレックスを、具体的に取り除いていくように見えて、五臓六腑にしみる構成のように感じた。沢山の経験をしてきた中で、人々が、根底に抱えている根幹とも言えそうなコンプレックス、演者のおかげで、解消していけるといいなーと、感銘をうけた。

コンピューターが、進化して、人にやさしい社会に成りつつあるのだろうか?それとも、ヒューマンパワーなのか、ゆらいでいるエネルギーが、よい方向になるよう願ってしまった。普遍的な悩み。時代の移り変わりを感じつつ、しみじみと思う。問題解消能力、さすがだなー。
小学生の頃から、私は、人は、動作をしている時に、どんなことを思いながら、その動作をしているのだろうか?読心術が、出来ると、何だか、愉快になれるのに、と思っていた。動物園の動物を見ながら、特に、その動物が、何を考えて、人を観察しているのかな?等と、逆転の発想を、楽しみながら、過ごしていた。人は、動作に思考が、反映される、人により、揺らぎは、まちまちであるが、横並びを目指す構造の中では、ゆらぎの幅は、制御されているようにも思える。そんな姿を見て、他国も同様なのかな?と疑問に感じていた。フィンランドの教育を見ながら、伝統文化の違いを、まざまざと感じつつ、理想的な状態にあることを、羨ましいなーと思った。日本の教育風景も、そんな環境の中で、進化しているのを感じられる、あとは、子供の取りまきの大人が、何処まで、教師と子供達に、好き嫌いを、おしつけることがなくなると、更に、子供は、のばせるように感じられるのだけど、今の時代は、子供時代から、わりと大人の概念で、ブロックわけされやすく、隔たりを作りやすい、私が知らなかっただけなのか、私の学生時代には、なかったような気がするのだけど、閉鎖的なものを感じてしまう。少子高齢化の波のせいなんだろうけど、そんな面が、解消されていくといいのになーと、垣根のでき具合を心配してしまう。相互リンク出来たら、子供達は、切磋琢磨出来るだろうに、格差ばかり作るから、子供同士が、子供の実力で競いにくくて、手応えを感じにくい社会、温室化が、出来すぎてしまい、変なプライドばかり、育てているようにも見えてしまう。そんな社会が、理想なのだろうか?私が、見てきた50年は、そんな社会に息苦しさを感じて、外国で学ぶ人が増え、又、移住する人も増え、国際結婚も増えた50年だったように感じる。何となく、誰が、この国を守っていくのかなー?と、不思議な感覚に陥っている。

最近の女性は、三平理想で、平穏を求めている人が増えたのか、普遍的なものが、クローズアップされただけなのか、わからないけど、納得してしまう。
様々な方面で、大学を出ている人を見ても、鳴り物が、目につき、何故か、しらけてしまう場面が、増えていることもあるんだろうなー!何処に、何が潜んでいるか、耳年増になっているんだろうな。

昔、ある学生が、東大を目指した、他大学には、受かっていたのだが、親の勧めか、子の意思か、どちらなのかは、わからないが、浪人して頑張っていた。親は、それなりの地位にあったのだが、その子は、自殺してしまった。当時は、物凄くショッキングな出来事で、まわりの人は、言葉を失ってしまった。今は、そんなことが、起きないようになっているのかなー?ひととき、韓国の受験戦争が、加熱していると報じられていたが、日本でも、そんな番組が、ある前から、同じ様な事は、行われていた。子供達も必死であるのだが、何より、親が、必死で、その手解きを受け、そこまでしなければ、ならないのかと絶句した。そう言う面では、私は、努力に事欠いていた。一流で居続けることは、物凄いエネルギーを要する。子供達に申し訳ないことをしたなーと、思っている。壮絶なしのぎあいが、日々、行われているんだろうな。ニュースを見ながら、そう感じてしまう。かろうじて、子供達の命は、救ってもらえたが、この先を考えたら、不安は、つきまとう。子供の人口が、減ったから、無用な競争は、無くなったのかと思っていたのだが、幼稚園から、親は、必死で、受験に備える。そして、激しいデッド・ヒートを繰り広げている。子育てというのは、とても、難しい。私は、のんきだったから、あっさり、戦いに敗れていた。今も、パイの取り合いは、粛々と行われているんだろうな。受験戦争が、一段落すると、何があったんだろうみたいに、顔にゆとりが生まれる。それまでの事は、なかったかのように!凄まじく、恐ろしかった。勉強が、好きなだけじゃダメなんだなーと、絶句している。大学に行っても、遊んでいるだけの人がいる。何の意味が、あるのかなーと疑問に感じていた。日本も、落第制度を作れば、少しは、勉強に本腰が、入るのではないのかなー?海外から、低い学力だと言われないように!そもそも、塾制度に疑問を感じている。親が、教えれたら、塾は、必要ない。沢山の親達が、大学を出ているはずなのに、自分で、教えることなく塾に行かせる。塾では、その子が、通う学校の傾向と対策が主流で、テスト勉強に軸をとり、内申点とりを、きにかける。何となく、勉強の本質的な部分が、ずれてしまっていて、勉強が好きな子が、育ちにくい。わかっていて、そんな制度に、なっているんだろうな。と思いながら、人を育てる、難しさを感じてきた。何となく、親の安心感をお金で買い、その結果を、親子で、喜びあっている、そんな光景が、感じられてしまい、壁が、厚いなと感じてしまう。
私が、小学生の時は、風変わりな塾の先生がいた。塾で、生計が、たてれずに、仕事をしながら、勉強が好きで、子供が好きだから、教えてくれる先生だった。費用も子供のお小遣いでしてくれた。又、中学の時にであった先生も、授業料、度外視で、勉強を教えてくれた。その先生も、ただ、勉強の好きな数学が専攻の人で、今の大学生が、している談義と講義を受けて、公式の議論をするのが、楽しくて、その先生と親友みたくなった。でも、養母に引きさかれちゃって、あえなくなってしまっている。よく先生の家に、押しかけて、泊まらせてもらい、夜通し、公式の魅力をといてもらっていた。今思うと、随分、あつかましいことをしていたのかもしれない。勉強を続けたかったから、親が、させてくれないことで、相談にのってもらっていたのだが、先生と先生の御両親が、養母との話し合いまで、持って応援してくれたのだが、養母の怒鳴り声のヒステリーが、凄まじく、先生のご家族に迷惑をかけることになってしまった。小学入学の時は、附属をすすめられていた。でも、養母に断られ、中学のときも、担任が、説得してくれたが、がんとして、そのことばに耳を貸してくれなかった。養母からは、徹底して、勉強の妨害を受け続けた。でも、その原因は、未だに、不明!
ただ、勉強が、好きなだけだったんだけどなー。だから、暇さえあれば、勉強にふれるようにしていた。私の遊びは、たぶん勉強。だから、友達と遊ぶこともなく、好きな勉強をしていた。最初の夫は、私が、勉強する事を支援してくれた。ただ、バブルがはじけて、出来なくなった。2度目の夫は、勉強嫌いで、やはり、妨害を受ける結果になった。結婚というのは、難しいものだなと感じている。子供達に、勉強が、好きになってほしかったから、自分の経験を礎に、その道のスペシャリストとであう機会を、重ねて、おりにつけ、数学や物理にかかわる談義を雑談交えて、させてもらってきた。そんな会話が、とても楽しかった。皆さん、忙しいから、数年に1度ぐらいしか、話をする機会もないのだけれど、子供達には、勉強の楽しみ方を経験することができたのではないかなー。やっぱり、好きなことに打ち込んでいられる人は、好きな理由が、わかっているから、言葉に、そんな思いが、あふれでてきて、直接、対話をすると、時を忘れてしまい、楽しい。そうそう機会も、持てなくなってきたのは、寂しいことだけど!いい経験は、沢山させてもらった。だから、思い出にひたりながら、生きていられる。一番辛いときに、大好きな勉強が、あったから、なんとか生活ができた。それがなかったら、生きていられなかっただろうなー。昔みたいに、子供が、情熱のある大人に、であえる機会が、あるといいのにな、それらしい制度で、シニアが学習してくれるようになっているようで、一寸、心強いが、私は、現役世代に教わっていた、現役世代の情熱が、失せていなければ、いいのだけど!

ネットサーフィンをしていて、目についたのが、ドイツの動くジオラマ文化、凄く楽しい。日本人でも、その手の趣味を持っている人は、沢山いる。技術があるのだから、北海道でも、作ってくれないかなーと、見いってしまった。観光名所になるだろうに。

故人が、先立ち、私は、故人の面影を探し、さまよってきた、故人は、天才だったように思う。
郷里に戻ることになり、知らず知らずに、天才探しをしていた。でも、巡りあえなかった。だから、いろんな事に、打ちのめされている。沢山の野心には、遭遇した。ただ、故人といた環境の中の人達と渡り合えそうな人は、ほんの数人だった。だから、寂しさと失望を感じてしまう。沢山いるんだろうけれど、であった層の違いが、致命的で、この先を按じた。もどかしいものだ。
付き合いはじめから、死を考えていた、民間時代に成果を出し、そのあとの仕事に身が入らずにいた、結婚し、子供が出来れば、身が入るかと思った。最初は、とても、やる気をみせてくれた。でも、色々な事が重なり、続けていく事に支障がおき始め、物凄く、うちのめされていた。田舎に帰り、のんびりさせてやりたかった。どうしても、叶わずに、幕を閉じた。どうして、下がれなかったのだろう?それが、とても、悲しい。