新しいこと

最近、生き方と死に方を、交互に考える時間が、どういうわけか、増えてしまった。歳のせいもあり、遺族という面もあり、子供達の身寄り作りが、出来ていない為でもある。悠長な話だが、年金額が、減ったのと這い上がれるだろう仕事に、巡りあえない為でもある。この十年の間、結果的に、断続的に、その悩みを抱え、生き続けてきているのだが、困った。それで、先輩である、養母や義父が、どうであったのかを、参考にしてしまう。我関せずで、88歳まで、生きている事を考えると、たえているのか、気にしないのか、わからないが、試行錯誤してしまう。年老いたものの未来とは、何であるのか、各自、自分だけが、楽であればいいという、子孫の事を考えない生き方をしているから、わが家は、ボロボロに、なってしまったわけで、私の中では、あまりにも、わがまますぎる人達に、太刀打ちできない制度設計の中で、ため息しか、出てこない。故人を生かさずに、負担を軽くして、生命保険を、あてにした人達、戦時中を生き抜いてきた人達は、たくましいなとなんともやるせない思いを、抱いてしまう。でも、そんな風に生きている人でも、社会的に認められている状態だから、私が、生きている事において、なんの問題もないと感じてしまう、そんな風に生きている人が、多数、散見されるなかで、そんな状態が、楽しい生き方だというのが、私には、どうしても、腑におちないから、悶々と試行錯誤する事に、陥っている。生き方の手本が、親の介護を放棄して、財産どりだけを、考え、子供の役にたとうとはせずに、生き抜いた人達であったわけで、世間的には、稀なパターンなんであろう、と思いたいのだけど、この話が、支持を得てきた事を考えると、多数散見していることかな、と興ざめしている。自由な社会とは、こんなことで、いいのかな、と社会制度が、崩れている、今の状態を懸念。大勢には、逆らえない状態であるのだが、大勢とは、何であるのか、又、考えると、道徳の崩壊が、主軸になってしまっているわけで、その点を、懸念。親を参考にせず、一般的な子孫を思いながら、生きている人達が、美しいなと考えて、お手本としながら、生きているわけだが、二者択一の中で、美しさとは、どちらであるのか、考えさせられてしまう。何故、こんな事を考えさせられてしまう、人生になったのか、困ったものだ。とため息をつきながら、生と死を、天秤にかけなければならない、年に入ったのかなとまだ、10代の子供達を抱えて、懸念してしまう。だけど、私が、10代の時、養母は、50代だったのだが、自分に面白くないことがあると、心臓がいたい、養母を殺す気か、と大騒ぎを、起こされていて、それから、38年、その考えを維持して、逞しく年金暮らしで、生きてきている訳で、騒ぐことにより、誰かの役にもたたずに、葬送の会への準備を38年も続け、そこだけに照準をあてる楽しみをえながら、日々を送り続けてきている執念を考えると、人というものは、いったい何であろうかと、深く考えさせられてしまう。答えがでなくて、推移を見守ることしかできず、私なりには、双方、長生き出来ることが、望ましい事なんだろうな。と考えるに到りながら、日々を送らざるを得ない状態にあり、不健康極まりない。
養母は、(48年)38年、仕事もせずに、死に方の美しさだけを楽しみに生き続けている。そんなことが、認められている社会があり、やはり、年金暮らしで生きている、この状態が、存在していることが、疑問でもあった。結果、人は、働かなくても、生きれる時代であって、何の成果もあげずとも、堂々と生き抜いていいんだなーと勉強になっている。生きるとは、なんなんだろうなー。私には、およそ、信じられない生き方なんだが、女性の生き方としては、こんなもので、いいんだろうなと、思いながらも、何となく、それでいいのかなー、と悩んでしまう。平和の証しのお手本が、38年続いてきたわけなんだけれど、何にも出来なくていい、手本が、あるから、私も、強くたくましく、生きてこれたわけで、その点では、反面教師として、感謝する面もある。ただ、生き方が、違いすぎて、私が、生きてくる上での、ノイローゼの主軸を形成してきている。更に、私が、20代の時から、経済的におぶさってきた状態で、10代の時も、家の中の事を支えてやっていた事を考えると、よく面倒をみてやってきたなと、自分に感心してしまっている。運命だから、仕方がなかったのだけど、強いたげられ続けている人生を考え、生まれおちた環境を、呪ってしまう。どこに生まれ、どこで育つかで、人生は、決まってしまう。今のようなノイローゼの環境におかれて、自ら、ノイローゼをたてなおさなきゃと、冷静にエネルギーを費やすのだが、負のエネルギーの作用は、私には、とても重く、すぐに、挫けてしまう、弱すぎるのかもしれないが、重圧は、私にとっては、とても重い、折角、その重圧から、逃れられて、土地を離れ、自由になれて、結婚出来たのに、死に人に、おいすがられて、生活を破壊された気分でいる。まるで、ゾンビのようで、恐ろしい思いを抱きながら、何とか、生き続けている。何て、無駄なエネルギーなんだろう。不毛だ。仕事をしなくてもよい、という状態は、物凄く不健康で、又、息苦しく思えてしまう。命を粗末にすることは、よくないこと、とは言え、働いても、働かなくとも、某かで、命は、尽きる。明日を信じ、一生懸命、働いて、生きている人達が、何かの拍子に、死んでしまう。そんなことを、傍観しながら、生きていて、よいのだろうかと思い悩む。ただ、同世代が、がんばっていることを思うと、私にも仕事をする機会が、得られるのではないだろうかと、願いつつ、日々に堪え忍び、生活をしている。長い不況で、根負けしそうだが、子供達への愛情が、今は、生きる支えになっている。義父母、養父母を、みとるまでは、長生きしなければ、いけないなーと悶々としている。悪い例は、摘み取らないといけない気がしている。
養母は、子供を作る人の事を非難してきた。人口増加を懸念しての事であったが、私は、それを聞きながら、養母が、子供を持てない年齢のそねみとひがみとしてしか、聞いていなかった。結婚が、遅かったことが、原因だっただろうし、又、結婚相手が、精神病患者であったことも起因しての話であったから、自国の人口減少を唱える、養父母には、とても賛同できなかった。ましてや、私の年代は、子を持たない、持てても、教育にお金がかかるから、一人っ子か、持てても二人と絞りこんでいた年代であり、それが、懸念材料だった。養母の思想は、先に生まれているものの横柄な考え方に基づいていると思われ、その傲慢さに、抵抗を覚えた。今にして思えば、私の出生先を、ずっと貶されていた訳で、とんでもない嫌がらせを受けながら、育った訳であり、ふと、振り返ると、毎日、嫌がらせの中で、生活させられていた事が、フラッシュバックしてしまう。まるで、シンデレラだったなーと思ってしまう。シンデレラを準え、結婚したわけだが、七人の小人のように、毒りんごならぬ、毒料理を、食べさせられたこともある。それで、もう付き合えない、となったわけだが、私の人生は、本当に壮絶としか言いようがない。へらへらと生きているが、内情は、はらわたが、煮えくり返っていた。裁判で、縁を切った時には、憑き物が、とれたと、素直に喜べたのだが、世間には、そんな家庭状況が、反映されずに、逆に恩知らずみたいに理解されているようだ。実態と違うから、飄々と生きるしかないのだが、この足かせは、非常に重い。もう年だから、死んでいるのかと思ったら、飄々と生きているわけで、なんともはや、この親にして、この子あり、という心境に陥っている。そんなことに、とらわれて生きるのは、嫌なんだが、仕事をする時間(何かに、うちこめる、忘れられる環境を整備する時間)が、持てずに、暇という中で、どうしても、自分の過去も、振り返ってしまう。暇というのは、恐ろしいものだなと感じてしまう。何の障害もない生活をしている人達には、わからない心理なんだろうから、そんな風に、理解できない人達を、見ていると、何となく、幸せになれる。幸せとは、そうでなければ、いけないと思えてならないから、目指す手本が、あるわけで、子供達に、それを、してあげたいと思えるから、何とか、自制が、保たれている。
殺人き(養母)と、寄り添わなければならない半生を、送った、私の人生だが、殺人きだけには、負けていられない、という思いが、根底にあり、みとりをして、社会が、平穏になることを願うのが、私のしめいのように感じられてならない。干渉したくはないが、運命だろう。殺人きは、許せない。でも、こう思ってしまう私も、同様なのかなと思うと悲しくなる。多かれ、少なかれ、こうしている間にも、死んでしまう人がいて、なにがしかの無念さを持って死の淵にたどり着いているのだろう。ようするに、小さな事には、こだわっていても、意味がないということなのかもしれない。本当に小さいことと、いってのけていいのかと、悩むに至る。生きる定義が、わからなくなっている。又、死ぬ定義も、わからなくなっている。矛盾だらけ!生きにくい世の中にしてしまう私が、一番、わかりにくいのかもしれない。好き嫌いの強い人が、羨ましくも思えてしまう。
何も考えないのが、一番、平穏だなと、仙人目指して、修行心理状態に身をおかなければ、やってられない。自分との戦いかなー?自分にとっては、格差は、あまり、意味を持たない。何故なら、最低限あって、発想が、閃けば、できる範囲で、行うことが、出来る訳で、別に、流れに任せて、遊びたい訳でもなく、何か、作り上げることが、できうる時間が、生涯続けばいいな、という思いを抱いている。コンピューターにでも、取り組もうかなと何度も思うものの、故人と、その分野で、凌ぎを削っていた思い出で、取りかかろうと思うと涙が出てきてしまい、頓挫してしまい、乗り越えることが、できずにいる。心とは、難しいものだ。
過去に、東大卒でありながら、心の病にふしたひとや、京大医学部に入りながら、心の病で、リタイヤした人とも話をし、ゲームのクリエイターとも話をしてきたが、そんな人は、たくさんいて、なんか宝の持ち腐れみたいで、やるせないものがある。頭のよい人達とボードゲームで勝負をしてみたが、やはり、一手、光る人達であり、どうして、埋もれてしまっているんだろうと思いつつ、そんな人達が、リタイヤしていなければならない社会は、難しいなと感じてしまう。いい人達なんだけどなー。何でも、出来るのに、隠居している。何でも出来るから、隠居するのかなー?

お叱りの手紙がきた。NO eat NO Life かー、確かに、そうだな、しっかりしなくちゃ!最近、食べる意欲もなくなっているからなー。臥せりすぎ!反省。

手紙のおかげで、食事をとらなきゃと思い、買い物に出かけ、今日の食事(夕食になったが)を食べた。最近、1食ぐらいしか、食べる気がしない。食べたいものが、考えつかないから、という理由もある。昔は、意欲があり、様々な物を食べてきた。食通みたくなったのだが、震災以降、余計に食の関心が、薄れてしまい生活するのに、最低限の食事を摂るようになった。又、子供達に食べさせなきゃという思いも抱かなくてすむようになり、又、歯の調子も悪くなった為、味気なくなり。巷に、美味しいものが、溢れているのに、横目で受け流すようになった。年だなー。
何気にネットを検索したら、オープンカレッジを見つけた。これだーという気分、勉強したくても、学費も交通費もなく、又、育児で忙しかったから、片手まにしか、することが出来ず、悩んでいたのだが、講義が、聞ける事で、生活が、潤う。独学をしていたようなものだったから、よかった。外国の講義も見聞き、出来ると、もっと楽しいだろうにと思ってしまう。他国の教育法が、素敵で、発想が、私が、中学時代に、学校の勉強に退屈し、授業中に、独自に遊んでいた方法で、驚いたが、嬉しくなった。子供達にもさせていたが、結果は、?
経済物理学が、出来たんだ、やったー