消費税が、あがったら、今のままでは、飢饉が起こってしまうのだろうな。どうなってしまうのだろう?飢饉を起こすための政策のような気がしてしまう。不安な情勢だ。これも、ひとえに、世界人口が、増えすぎてしまったからなのかな?80億で、頭打ちに、したいようにも、とれる発表も、あったようだからなー。
あまりに不安だったから、予言者が、どう説いているのかを、調べてみた。何だか、そんなことでもしていないと、物事が、手につかなくなりそうで・・・、もう、手につかなくなっているきらいが、あるのだが、色々な予言が、あるのだなと勉強になった。でも、右往左往することだけで、最後は、神様のご加護に、すがることだけなんだなと、感じた。私のしたいことが、何であるのかを、考えたのだが、単純に家庭生活を円満に行い、子供達と共に、幸せに暮らしたい。だけなんだけど、人の想いは、複雑で、形にしたくないと思われてしまう概念が、存在されているから、このような結果を、導きだしているんだろうな。養父母と義父母が、幸せでいられるように、どういうものなのか、社会が、応援してきたわけで、もう、90歳近い人を、担ぎ上げてきていることが、何となく、不思議でならない。もう、介護を受けている人たちで、そうできるように、対処してきてあげたのだけどなー。何だか、踏んだり蹴ったり!お世話になってきた人達は、明治時代や大正生まれや昭和初期の人達で、養父母と距離を保っていた人達だったが、もう、おなくなりになってしまっている。いい人ほど、早死にするというのは、悲しい話だが、本当のようだ。私も、お人好し過ぎるのかなー、やっぱり・・・。2、3日前から、飼っていた、うさぎの事が、妙に気になり、うさぎの預け先を検索、姿が、映っていない、誰かに、譲り渡されたのかもしれない、と思いつつ、月を連想し、映画、かぐや姫を連想した。何だか、そろそろ、おむかえなのかな?なんて、主人公になったつもりに、陥ってしまう。そんなたいそうなものではないのに、少女趣味が、こうじて、なぞらえてしまう。母親なんだから、現実を直視しなければならないわけだが、にしても、漫画を、見ても、何だか、世相を反映している感じがして、何となく、未来ではなくて、今を、彷彿する。夢は、つまっているのだろうか?昔は、夢、多い漫画で、楽しくて、想像力が、掻き立てられたんだけれど、様々なものとリンクして、1年を振り返りつつ、来年を感じてしまう。流れに身をまかせて、それでも、今日も、地球はまわり、陽は昇り、変わらない日が、穏やかに、経過してくれている事に感謝しつつ、童心に帰れた気分で、小学生の時からしていた、編み物やレース編み、手仕事と戯れる。レース編みは、養母が、箪笥の中に、途中半端に投げ出していたものを、もらい、せっせと取り組んでみて、難しかったのだが、ながきにわたり、暇がなくてすることができなくて、今、漸く、自分の時間が、持てるようになり、取り組んでみたら、案外、すんなり、出来てしまい、物足りなさを、感じてしまうようになった。でも、精神統一には、とても、よい気がする。次に、取り組めるものは、ないだろうかと思案し、ネット検索、タイムマシンというキュービックや、11×11のキュービックに、取り組んでみたいなーと思っている。お金、貯めなきゃ!ベビーブームが、あってから、爆発的に、人口が、増加していた日本も、淘汰されなければ、ならないということなのだろうか?各国のわりふりが、気になるところだ。でも、経済界を見ていると、外国の人にポストを持っていかれているようだし、そんなところから察すると、敗戦に陥っているのかな、とも感じられてしまう。仕方がないことなんだろうなと、この50年を、ふりかえり、感慨に耽ってしまう。島国だから、語学が、進んでいないし、こぞって大学進学出来ていて、大学生が、義務教育を受けてしまっているような、不思議な感覚になっていて、中学生の頃の勉強もわかっていなくて、とんでもない社会になっていて、シニアが、増える一方だもなー。政治は、よくこらえてきていると感じる面もある。
もっと、各自、努力していかなければ、だめなんだろうな。
先だって、バスに乗った時に、シニアの女性が、英語のノートを片手に、語学学習をしていて、立派だなと感心させられた。勉強なら、何歳でも、場所を選ばずに、本人のやる気だけで、出来てしまう。私は、小学生の時から、好奇心が旺盛で、勝手に、色んな大人に話しかけては、様々な事を教えてもらってきた。英語を勉強したいときは、外国人が、どこに集うのかを、考え、結果、日曜ミサに、出かけていた。もんとは、あけはなたれていて、私のようなものでも、受け入れてくれた。そこに、集う人は、英語に抵抗感を持っていない人たちだった。体が、丈夫でなかった私は、結果的に、ミサに通えなくなったのだが、その時の経験は、英語への劣等感を抱かずにすんでいった。それどころか、益々、英語を好きになっていった。自分から、問い合わせをして、出向くことができる。あとは、洋楽を聴いて、歌詞を辞書を片手に訳してみたり、洋画を、見て、訳と字幕(直訳)の違いを、不思議に感じ、自分だったら、どう訳せるのか、自問自答して、楽しんでいた。又、外国の翻訳されたものや、英語の本を買ったり、図書館で借りたりして、おりにつけ、時間があれば、親しむ努力をしてきた。慣れが、一番大事なんだろうと思い、NHKの基礎英語を聴いて、自分なりに勉強していた。あとは、単語帳を作り、バスに揺られている時間、暇だったから、暗記の練習に使っていた。少しは、耳慣れが、出来ていたので、外国人に話しかけられても、話している意味は、理解できるものの、言葉をかえすほうで、戸惑うこともあった。たんてきに、単語の羅列とジェスチャーだけで、無理矢理、相手に理解してもらったりしていたなー。今は、翻訳機が、発達しているから、楽な時代になっているように感じられるし、ネットでも、英語が、常用語で使われているから、目にする機会も増えて、感覚的に、読みとりやすくなっているような気がする。何処の国の言葉でも、ネットを開けば、接することができて、家にいながら、外国旅行をしている気分に浸れる。つくづく、便利な時代になったものだし、外国人が、観光旅行で、多数来てくれて、接触する機会も、俄然増えている。一寸、気がかりなのは、外国人の就労が、俄然増えている事で、その分、日本人の働き場所が、減ってしまったのではないだろうか?と気になりながら、生活をしていた。私は、外国人が、多くなることに抵抗は、ないのだが、英語に抵抗感を持つ人が、残念ながら多いから、その点を懸念していた。でも、時代は、どんどん進み、海外旅行も増えて、片言でも、度胸で、外国に出向く人が、増えていて、勇気のある人を見て、ほほえましく見てしまう。もっと数多くの人が、英語をスラスラと話せるようになり、道端でも、自然に英語が、飛び交うように、なるといいなと思ってしまう。そうしたら、世界は、もっと、楽しくなるような気がする。いつになるのかなー?そんな時代!

昔のほうが、悪の強い個性的な大人が、多くて、豪快だったようなきがする。どうして、こんなに窮屈な個性のないような社会に、なっちゃったんだろう?時代というのは、不思議だ。

日本のサッカー選手が、どうも、うまく育っていないような気がしてならなくて、興味が、薄れてしまうのだが、子供にサッカーをさせてみて、試合運びや練習を見たわけだが、一寸才能のありそうな子は、中学生だったこともあり、進路の問題で、サッカーに打ち込むというよりは、塾に流れてしまい、進学におもきをおいていた。日本の教育システムが、障害になってしまっている風土が、サッカーの魅力を押し上げれないような気がしている。他のスポーツも、似たり寄ったりで、子供達の経済格差も、勉強だけではなく、スポーツにおいても、育ちにくい状況もうまれてしまっている。だから、何となく、全体的に魅力が、落ちてしまっているように感じる。スポーツは、特に親の経済力が、反映されてしまうものなのではないだろうか?小学生の時は、毎週末、母親が、子供を試合会場まで、送ったり、中学生では、試合会場までの交通費が、捻出出来ずに、参加できなくなったり、今の時代、子供のおかれている環境に、大きな格差が、存在するから、つまらなさに拍車が、かかるのだろう。又、教師は、名をおいているだけで、講義も練習などにも、力を注いでいなかった、何となく、その光景が、不思議で、私は、試合をビデオにとって、試合運びの仕方を、学ばせたりしたんだが、経済力で、頓挫した。そんなものなんだろうな。英才教育も、年齢的にむくむかないのスポーツが、あるように思う。私は、そんな風に考えて、基礎体力を含めて、水泳から始めさせて、全身の筋肉を育てるように考えた。あとは、サイクリングと山登りと空手、小さいうちは、そんなことをして、小学校の高学年で、卓球、バドミントン、テニス、サッカーをさせてみた。卓球か、水泳をしたがっていたが、通わせる費用がなくて、諦めて、学校にあった、サッカーにたどり着いたのだが、やっぱり、お金が、なければ、なにもさせてやれないのだと、うちのめされた。スポーツが、大好きな子供達だったが、引きこもらざるおえなくなっていた。私は、陸上部、卓球部、テニス部、羽根部に所属していた経験から、直接、子供達に教えてやれることができたが、今は、お金は、ある人が、経験のなさから、走り方の塾に通わせるなど、不思議な社会が、出来ている。でも、結果に結びついていかない社会が、出来ていて、人生は、つまらないものだと思ってしまう。
子供達には、途中半端な結果に終わってしまってはいるが、沢山の経験から、何かを学んでくれたのではないかと思い、涙をのんでいる。お金がなかったから、児童会館や近所のテニスコートやグランドを利用し、裏山を登り、アスレチックをし、サイクリングは、お金がかからないから、したわけだが、本当は、何か、ひとつに絞って、させてやりたかった。二人の子供の教育と、仕事もしなければならなかったから、それは、それで、大変だったが、楽しかった。何か、今は、肩透かしをくらったようで、変な気分だ。寝るひまがなくて、忙しかったのが、嘘のようで、ためにためこんでいた、出来なかった睡眠時間を、今、まとめて返してもらっているような気分。燃え付き症候群みたいで、なんか不思議な人生だ。まだまだ、勉強もスポーツも、教えてやりたかったなー!
電子工作も教え、ラジオ作りなどをし、プラモデル作りも教え、ジャム作りやパン作り、クッキー、和菓子作り、料理、手芸、家庭菜園とオールマイティーな大人になれるようにしていたんだが、はたして、どんな子に、育っているんだろう?
小さい時は、レゴブロックが、大好きで、東大のレゴ部に行きたいといっていたんだけどなー。今や、学力が、追いついていないんだろうなと危惧している。