故人は、人望があったようだ。外見は、温厚で、真面目で、人当たりもよかった。目上を尊重し、敵を作るタイプでもなかったはず、そんな故人だったから、私は、穏やかに生活出来ると思っていた。義母と養母が、とても介入してきたことで、振り回されてしまったような気がする。私達の人生は、おかげで、滅茶苦茶になった。穏やかに仲良く暮らしたかったのになー!子供達も人から、好かれるタイプだ。その事があるから、人間関係は、大丈夫だろうと思っている。私が、いじめられてきて、その影響を受けてしまっていた子供達も、今は、私から、離れることで、いじめを、受けずにすむように、なったようだ。一寸、安心、本当は、手元にいてくれて、いじめを受けないのが、一番なのだが、社会構造が、そうなってしまっているので、しょうがない。寂しいが、子供達が、安全に暮らせるのが、一番だ。どんな大人に育っていくのか、見届けていくしかできないのは、一寸、悔しい気がするが、一人目の子が、そうであったように、何故か、私が、子供達を手元におこうとすると、異様に妬まれてしまう。故に、一緒に暮らせなくなったわけだが、不遇な運命だ。子供達が、幸せになってくれるように、産んだだけだから、どのような形になろうとも、幸せになってくれたら、いいやと諦めている。子供達が、幸せになることだけが、生きがい、そうは、思わない親も多いようで、寂しい限りである。世の中、お金が、大事なんだと50歳を迎えるにあたって、ひしひしと感じるようになってきた。私は、お金には、どちらかと言うと無頓着で、愛のほうが、大事だと思っていた。でも、故人が、混乱を乗り越えられなかったのは、もしかしたら、お金がなかったからだったのではないかと最近、思うようになってきた。寂しい話である。お金が、あれば、好きな車も買えたであろうし、趣味もさせてあげたであろう。かわいそうな事をした。子供達も貧しい家に産んでしまって、申し訳ない。バリバリ仕事をすれば、乗り越えられるものと思って、頑張り続けてきたのに、あげあしとりばっかりで、仕事につくことも出来なくなって、今にいたるわけだ。どうして私が、仕事につくことに、こんなに妨害が、入ったのか、しごく疑問だった。普通の主婦みたいな生活をすることになったわけだが、ひどく楽であり、驚いている。共働きをしながら、子育てをしていたときは、働かない主婦を横目でみながら、楽そうだけど、どうどうめぐりの井戸端会議ばかりで、大変そうだし、くだらないなーと思っていたのだが、今は、そんな生き方しか、与えられていない。できる限り、井戸端には、参加せずに、自分を高めて生活をしていきたいものだ。せっかく生きてきたのだから、ポリシーを貫いて、くだらない悪口の輪には、入らないように、回避しながら、この先も生きていきたい。
子供達の為に、いちるの望みをかけて、宝くじでも買おうかな。当たるようには、思えないけど、少しは、夢が、見られるだろう。お告げでもあったら、買ってみよう。まだ、最高10000円位しか、当たったことがない。それでも、いいほうなのかもしれないなー。それ以上、当ててみたいものだが!