病んでいるのは?

病気に、なったみたい。そろそろ、お迎えかなー!胃のあたりが、ずっといたい。おむかえであってもいいかなと感じてしまう。子供達の事は、心配だが、今の社会に未練は、ないし。パパにあえるのかなと思うとワクワクするし、ない話だが、夢は、そこに落ち着いてしまう。子供達、心配だなー、こんな世の中になってしまって、辛いものだな!

若いときに、沢山バカをしてきてよかった。望んでしたことではなかったが、バブル最盛期を謳歌したから、沢山の思い出ができた。がんじがらめで生きている人を、羨ましく思う反面、そんな経験をしなくて、よかったという思いもある。さぞや、つまらない人生なんだろうな、と想像してしまう。人それぞれ、生き方は、違うが、後悔は、ない生き方が、一番だ。人生、1回きり、思いっきり、能力を消化してきた。限界が、わかったから、満足している。故人も限界が、見えたんだろうな。美しさを、重んじる人だったから、35才で、旅だったのだろう。老いることを、嫌がっていたし、私は、故人よりも、老いてしまい。故人に会えたとしても、わかってもらえないだろうことが、悔しいな。長生きなんてするもんじゃないなー!皆、どうして長生きしたがるんだろう?さっぱりわからないなー!
お迎えがくるまで、子供達に、精一杯、つくそうと考えている。他にすることないしな。感動するのは、我が子の成長を見ているとき。あとは、どうでもいいや、10年前から、それだけを生き甲斐にしてきた。子供達も大きくなったことだし、せいぜい足手まといにならないように、死をむかえれるといいな。病気で死ねたら、本望だな。自分で死ねないから、時が満ちるのを、待つのみ。子供達と離れてみて、沢山の自分の欠点が、見えた。体が、ボロボロで、体力が、落ちてしまった。我ながら、よく生きているなーと感じてしまう。普通の人の何倍も、遊んでいたような気がする。贅沢を沢山させてもらった。性分なのかなー、能力を、小出しにしか使わない。好きなことも、途中で、やめてしまう。打ち込めるものが、なくて、惰性でしか生きてこなかった。なんでもそこそここなせていたから、真剣に物事を考えたことがない。だから、まるで成長していない自分がいる。よく、今まで生きてこれたものだ。欠点に気がついたのが、小学生の時、以来、直せるものかなと思いこそすれ、直すことが、できずに来た。一生、このままなんだと思うと、とてもつまらない。つまらない一生を、送っている。つまる人生とは、どうゆうものなのかも、わからない。どうでもいいや、自由気ままなのが、一番だ。故人が、その事に、気づかせてくれた。故人に出会えてよかった。
今は、時を潰すのにレース編みをしている。あっという間に、時が過ぎていく。それで、ほっとする。もしくは、メガキューブで、模様をつくって遊ぶ、あとは、パソコンのゲームなどをして、日がくれるのを待つ日々、本を読んでも、はいりこめない、庭いじりをしても、あんまり楽しくない。料理を作っても義務感しかわかない。だらだら、生きているな。英検受けようかな、って頭をよぎるが、今更、資格をとっても、役に立たない。お風呂にはいって、ゆったり、垢擦りをしたり、健康のために散歩をしたり、ウィンドウショッピングをしたり、自転車で遠出をしたり、部屋の片付けをしたり、漫画を読んでみたり、でも、たいした感動がない。知り合いと話をしても、たいして楽しくもない。ただ、子供達が、頑張っていると思うと申し訳ないなと思ってしまう。頑張ってやらなければならないことは、少しでもお金を残してやることだけかな。あとは、想像がつかない。これだけ、暇になったから、レース編みも出来てしまう。やっぱり、ピアノを弾くきには、なれない。音を奏でることが、いけないような気分になってしまった。パッチワークをしているときは、時をつぶせるから、楽しい。出来上がりなど、どうでもいい。残された時間が、消化されればいい。作品が、どれだけできるのだろう?生きているのがむなしいながらも、もう10年がたとうとしている。早いものだな!10年で、私ができたことは、子供達を生き延びさせたことだけかな。子供達と沢山、遊んだことだけかもしれない。仕事に恵まれなかったから、自然と、そうなったのだが、密度は、濃かったなー!二年近く、一緒に時を過ごした。学校を転校できなくて、不登校になり、私の看病をしてくれていた。珍しいパターンだろうな。親孝行な子供達、親としては、この上ない幸福者だ。その分、子供達は、ハンディをおったのだが、流石は、パパの子だけのことは、ある。レールに乗るだけが人生ではない。それに気がつかせてくれた。が、レールの重みを肌で体感もして、レールに乗ることを決めているようだ。取り合えず、レールに戻った子供達、凄いなと驚いている。
ずっと、レールに乗ってはみ出さないように生きてきた私の学生時代とは、比べようがない。
命がけで、守ってくれた。パパが、そうであったように、ただ、この先、こんな気性では、長生きできるのかなと、危ぶんでしまう。死んでまで、守ろうと言うのは、正しいことなんだろうか?私には、その答えが、いまだに、見えていない。愛しかたは、人それぞれなんだろうけれど、私達の身をあんじ、旅立っていった、一頃は、一家心中をしたいと言われて、目を丸くしたことがあったが、何を言いたかったのかは、今なら、なんとなくわかる。聞いたときは、驚いて、精神科に入院させた。療養してもらい、復活してもらうつもりだったが、決意は、変わらなかったようだ。故人は、偉業を残しながら、先立った、私は、残念ながら、偉業を残せそうにない。つまらない人生だ。でも、3人の子供達を、まがりなりにも中途半端でも産み育ててきたのだから、十二分かなーと思っている。出産は、命がけの事業だから、実際、歯の治療ができずに、虫歯が、重なり、死にかけた。よく、持ちこたえたなと思う。一人目も、陣痛が微弱で、24時間ほど耐え抜いた。よもやと思いながら、二人目も時間がかかった。三人目で、ようやく楽なお産が、出来たが、その時に死にかけた。自分の命とひきかえに子供を産む決意がなければ、子供は、産めない。私は、そんな心づもりで、子供達を産んだ。普通は、そこまで考えないのかもしれない。でも、私は、そうだったなー!子供達もいろんな事を乗り越えて、産まれてきてくれた。だから、感謝しかない。
ところで、私は、病んでいるのだろうか?本当に病んでいるのは、社会の方なんじゃないんだろうか?ずっと、そう思いながら、生きてきた。レールから、脱線しないように生きることが、病気に思えてならないときがある。ふと、立ち止まり、しらけて、社会を見てしまう。レールがあるから、社会は、回っているのだろうけれど!
特定秘密保護法案は、決まったんだ、とんでもない時代になったものだ。日本がつぶれてしまう。そんな気がする。
子供達を産んで失敗したことは、こんな法案が、出来てしまう時代だから、そう感じてしまう。子供達に申し訳ないなー!敗戦国は、辛いなー。
圧しきらないと維持できないんだろうな、情けないなー!三島由紀夫を思い出してしまう。
あと、テレビを見ながら、女性が、不しだらな時代になってきたんだなー、と感じた。おばさんが、若い男性を求めて、スポーツセンターに通うんだ。情けない時代になってしまったもので、何だか、気持ちが、悪いなー。男性アイドルの追っかけも、多いようだし、何だか、親父かしているなー!オヤジおばさんが、増えてしまった。かわいらしさが、無くなってしまった、オヤジギャルならぬオヤジおばさん、世も末だよなー!
あと、増税にむけて、日常生活必需品が、何であるのかを、選択する番組があったが、食品の好き嫌いで、税をかけてもいいとか、言い出す人もいるんだなと驚いてしまった。食品を食品と見なくなっているんだな、と危機感を抱いた。日本社会の文化レベルって、その程度なのかと驚いた。大丈夫かな、この先の日本。すさんでいるなー!
料理できない人が、多くなったんだなと、見ているようだった。
そう言えば、私も偉業をなしていたんだ。日本を救う手伝いをしたはず、故人と同格になったかなー!力を使い果たした気分。何のために救おうと思ってしまったのか、今となっては、笑い話である。助けた亀に殺される気分だ。あーあ!不幸な人生。生きているって、こんなもんなんだな。
何千万、救えたのだろうか?そのぐらいは、救えたであろうと考えている。日本沈没をさけたはず。何したのかなー?私は!不毛だわ。
平家物語の女たちでも読んでみよう。歴史を騒がせた女たちが、どんな動きをしていたんだろうか?今にも、通じる話なんだろう。歴史は、大嫌いだったが、歴史があって、今があるんだものなー。ひとつ気がかりなのは、目先にとらわれすぎる人が、多すぎるってことかなー、50年後の未来像が、乏しいような気がする。数年前に提起したことが、よもや実行されるとは、思わなかった。もっと、じっくり考えてほしかった。何だか、一触即発の時代に入ってきたのだろうか?フラストレーションが、目先かえでなければいいのだが、今回も、デッキレースだったようだし、やっているふりは、凄いなと感心してしまう。

昔、知人が足の手術をした、腰が悪くて、治療したのだが、何故か、足がびっこになり、身体障害者になった。その人は、昔、離婚するために、アームカットをやってのけた。結婚を持続するために、足のカットをしたのかなと、その病院ごと、疑っている。何かと話題になっている病院なんだよな。だから、病院不信を抱いてしまっている。人のことだが、医療って、どう言うものなんだろう?何人も器具をいれてきている人達にあってきた。それで満足しているようだが、私には、不思議でならない。他に、方法が、なかったのかと!でも、であった人は、手術してもらえて、身体障害者になれたことを、喜んでいるっし、理解できない人生を垣間見てしまう。恐ろしくて、付き合いが、持てなくなった。どうして、私の回りには、こんな人が、多かったのだろう? 体を傷つけて、やりたいことを成し遂げている。貧しいから、なってしまうのだろうか?生き方が、怖い、人の幸せは、まちまちだなー!私の場合、治療費が高いこともあり、手術は、見送った結果、リハビリで、どうにか回復できている。出逢った医師が、高額な医療費をふっかけてくれたおかげで、手術を受けずにすんだ。だから、感謝している。受けていたら、今頃、身体障害者だったかもしれない。偶然なんだろうか?体調が快復してきたのは、ただ、今度は、内臓だから、年のせいなのか、薬の副作用なんだろうか?病院にいかずに、痛みに堪えてみようと思っている。もしかしたら、治ってくれるかもしれない。何でも、病院にいけばいいものではないんだと学習したから。

手口は、おおよそ理解している。昔から、変わらないんだろうな。権力を維持するためには、そんな方法しかないんだろう。綺麗事では、維持できないのだろうな、と感じいる。子供達も、殺される方向にあるのであろう。居場所を教えないとしているのは、その為であるとしか、受け止めることができない。見せしめなんだろうな。どんな対応をとられているのかは、公務員にしかわからない。手放した子供も、同じ方向に、追いやられている。それが、始まったのは、私が、知る限り、平成11年頃から、故人が、それを知り、おかしくなってしまった。そこから、仕事をする気が、失われ、ごまかしごまかし、共に泣きながら、平静さを保つ努力をして、5年辛抱したわけだ。よく辛抱したものだと理解している。時に、早く死んでしまうのが、幸せなのかもしれない。辛い職務だった。知ってか知らずか、頑張って生きている人もいる。運命は、人が、作り出すもの、残念ながら、そういうものであるようだ。
汚点がないようにする社会、青、赤、緑、重ねて重ねて、黒く黒く塗り固められていく、何処まで、黒くなっていくのだろう。解決しようとは、しない、不思議な感覚が、国を覆う。目先の問題で、国が、荒れてしまってきた。悲しい現実!