じ・か・ん(時間)!

色々あるけど、自分の持ち分、能力と恒に向かい合う。自分の敵は、自分、沢山、弱音はくけど、理解してもらえない、理解させることができない。方法を、変えなきゃと思いながら、長くしみついた自分は、なかなかなおらない。他人が、話しているのを聞きながら、そう、こんな場面では、こんな言葉を出せばいいんだ。とか思うけど、中々柔和な話し方が、出来ずに、言葉を裏返してしまったり、そっけない話し方をしてしまう。あー、あの時、こんな話し方をしたら、相手も違うふうに返してくれたのでは、後悔ばっかり、だから、つまづいてばかり、だから、今がある。それは、よくわかる。50年、人生は、自分で、切り開くもの、ずっと、そうおもいながら、めげずに自分を信じて、生きてきた。辛いことだらけだけど、人生、谷ばかりではないと、信じながら、谷を生きている。山も時々あったようだ。端から、見るとね。自分は、そうは、感じてなかったんだけど、振り返ると、そうだったのかも、と頷けるような気がする。贅沢だったのかも、お金ではなく、ハートかな。相手に求めるばかりで、豊かな心で、相手に返すことが、もう一歩も二歩も、足りなかった、でも、自分なりに、相手を重んじてきたつもりだ。結果的に、憎まれたことに、なってしまい、双方、傷だらけ(心が!)、でも、生きている人が、多い。故人の命を繋ぎ止めれなかったのは、私が、諦めてしまった瞬間だった。自分が、潰れるな、どうして、こんなことになった、そんなことを考えてしまっていた、そんなときに、故人は、違うところを、見ていたようだ。気がつけなかった。まさかー、約束していたのに、約束やぶられた。故に、私は、自信を失った。生きる屍と化した。屍になりながら、違う約束(子育て)だけは、果たしたい、と突っ張る努力をしてきた。もう、10年近くも、たってしまう。故人に愚痴を言うつもりで、日記を書いてしまう。泣く(書く)ことしかできない。そして、読み返しては、自分をふりかえる。仙人目指して、笑っ!仙人じゃなくて、人間かー、人という字は、ふたつの線が、バランスをとって、支えあっている。一人っきりの世界ではない。ドアを開けるか、閉めるかは、自分にしかできない。今は、まだ、ドアを閉めていたい。私は、ひとりの命を、助けれなかったから。子供達にとってのかけがえのない人を、救えなかった、だから、生き地獄。ただ、この結果は、故人の関係者、全員でしたこと、特に、子供に期待をかけすぎた親の身勝手さ、そして、誰も、その親を説得できずに、時間を故人に、与えられなかった。時間、この間合い、良薬が、出来るのも、出来ないのも時間、ただ、総ての時間が、空回りした。故人が、生きていたら、誰も、辛い人生を、歩まずにすんだ。だから、故人を、恨んだり、自分を、責めたり、周囲にいた人を、責めたり、抜け道がない。時間!何をしても、しなくても、時は、移り行く。なら、出来ることを、坦々と時を刻むだけ、そう思いながら、さまよう。時の経過を!故人と再会した時に、悔いのないように、誰にも死んでほしくない。誰も、歳をとらないでほしい、いつまでも、若いままでいてほしい。何て、夢のようなことを、願ってしまう。もしかしたら、この夢も時間が、解決してくれるかもしれない。時間をいききできるように、なってくれれば、又、違う世界が、見えるかもしれない。皆の笑顔が、そこにあるといいのに・・・!