今日も今日とて!

わーい、眠れたー5時間も、ようやく、体が、普通に回復してきた気がする。努力の成果かな。医食同源、食べ物の効果かもしれない。人は、宛にならない社会、つくづくみに染みたこの数日間、哲学にはまろうかー、弱気になって、自分を見失うところだった。私のキーワードは、おとうさん、おかあさん、なのかもしれない。不安な時、心のなかで、お父さんを求める。お養父さんじゃない、おとうさんでもあるかもしれない。そして、故人(夫)!この繋がりに、お母さん、お養母さんは、でてこない。インスピレーションの問題か、血の問題か。にしても、人は、弱いなー、もう50年にもなると、親の事は、どーでも、よくなる。折り合いや、思想についていけない、私は、自由になれて、子供達と生きていければいい。
変な団子感覚は、しょうにあわない。窮地に追いやられると、先だったお父さんと夫の姿が、現れるんだなー、で、なにがしか、力を、与えてくれるような気がする。不思議なんだが、だから、三途の川をわたれずにいる。わかる人には、わかるんだろうなーこの不思議な感覚!そして、導いてくれる、今日は、病院にいくのやめようかー、どうせ、溝にはまるだけだし、側溝だらけだからなー世の中、はえとり紙に止まりにいくようなものだろうし。ヒートアップしている社会、連絡よこしてこないなー児相、国家権力、横暴、外国でも、こんな暴力しているんだろうか?今どき。まるで、中国か、北朝鮮にすんでいるみたい。私が、社会報道に与えられて培われてきた社会イメージでしかないんだが・・・!!

幼いとき、麻疹のようなものにかかり、そばにあってささえてくれたのは、養父母ではなく、飲み物だった。普通は、親となるのではなかろうか?どちらかというと、養父母親には、近寄られると嫌だった。他人とわかり、どれ程、生きた心地が、したか、わからない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。こんな言葉が、養父母には、しっくりくる。そんな生い立ちだったから、家を処分して死んでいくと言われて、ほっとした。惜しい気もするが、精神病患者が、住んでいた家など、ないほうが、スッキリする。
仮に遺されても、嫌な思いでしかないから、此方が、処分しなければならなくなる。真っ平ごめん、だから、平成16年に、あらたに中古の家を買ったんだ。そして平成19年に、親子不存在裁判を起こしたんだ。もう、6年たつから、死んでいると思っていたんだけど、ぬけぬけと生きているんだよなー。回りの人って、どうして、話に騙されやすいんだろう?騙されていきているんだもんなー。人は、皆、だまし愛でしか、生きていけないのかなー。弱いなー。今日は、雨、昨夜から、ふりはじめたから、干してあったにんにくをとりこみ、昨日、レモンバームで、作った、ドライフラワーの下においた。あと、スペアーミントのドライフラワーも、作った。結構、匂うものなんだなー、と驚いている。庭があって良かった。使い放題、作り放題。

ひとりは、寂しいなー。子供達と話がしたい。どうして、制限されるのだろうか?子供達の命を助けてきたのに・・・!私達家族が、公務員から、虐待をうけてきただけなのに。何故、引き離されるんだ?生活保護費を、浮かせるために、国が、制度を変えてきたせいか?集中攻撃を受けているような気がする。他に、する事ないんかなー?戦略的な問題かー。ない話にしたいからなんだろうな。人権侵害を。
集中攻撃を受けてきて、故人が、死ぬ前からだから、まー、死んだときから、既に、9年目に、なろうとしている。(通算50年)かなー!孤独だなー。私は、マゾでは、ないはずなんだが、怒りとおりこして、笑うしかないかなー!今日は、そんなストレスを、発散すべく、職安に仕事探し、暇もて余すと、ろくなことを、考えなくて、イライラするばかりだから、時間潰しして、子供達の学費を、稼がないと、何のために、故人と共に死ななかったのか、わからなくなるし、遺言の意味がなくなる。子供達の今後も、按じる親心を、人質政策で、繰り広げるんじゃない!今日は、お金を、沢山使っちゃった。交通費1200円、食費2000円、お弁当380円、おやつ400円、しめて、4000円も出費した。あっけないなー。でも、職安に行かなきゃ、仕事ないっし、途中で、お腹は、空くわけだし、予算節約しても、これだもんなー。交通費さえなくなれば、少しは、楽な生活なんだが、市内でも、距離が遠くて運賃高い地域だから、生活しずらい。地域から、若者が、減っているから、何となく、息がつまる。関東圏に16年いて、その生活が、身につき、人混みの中にいるのが、落ち着く、若者達の会話を聞くとなんだかほっとする。誕生日プレゼント、まだ、迷っている。してやりたいこと一杯あるのに、7か月位も、出来ないなんて、異常だね。

やっぱり、プレゼントは、時計かな、なかなか値段が高い、買いたいものは、手が、届かない。仮に買っても、壊れてしまう可能性もなきにしにあらず、一万円前後は、覚悟しなきゃ。頭いたい話だ。大丸、ステラ、ヨドバシ、ロフトと回ってあるいた、意外に、お店は、あった。目移りしているあいだに、わが家にある時計に電池をいれた方が、いいのでは?と戸惑って、悩んだ。私は、若い頃は、時計を使ったが、今は、携帯オンリー、時計もファッションの時代に、思える。子供達も携帯だったが、今、子供達の携帯は、わが家にあり、子供達の手元には、ない。お金だけ払っていて、無駄なことを、させられている。その上で、あらたに、時計を買わされるのも、どんなものだか、何かしらけてしまう。だいたい、子供達が、欲しがっているのだろうか?はぁーっ。
生活状態が、把握できないようにさせられるなんて、親として生きている感じがしない。いらないのかなー、私。そんなふうにやるせない思いを抱きながら、さまよっている。この半年、だから、落ち着かない。子供達と別れて暮らすことなど、夢にも、考えたことがなかった。ひどい話だ。行政機関に憎しみしかわいてこない。親と子供達の気持ちを、こんなに無視する国って何なんだろうか?状況は、最低。児相や市は、財政上、市の負担を減らしたいのは、わかるが、子供達が、親と暮らせない社会を作ると、愛情不足になり、コミニュケーションに不具合を、生じるようになる。私と養父母は、他人だから、なるべくして、離れるのが、適当、でも、実父母とは、数回でも、コミニュケーションをとれた、だから、私の性格は、かなり我慢強い、まして、一人息子とは、6才の時に、離婚して、引き取らずに、相手方に頼んだ。理由は、養父母の問題があったから、この時も、死にたいぐらい、苦しかった。だから、故人とは、何度も、引き取りのことを話した。故人が、とても、心配してくれていた。そんな故人と私と子供が、幸せになれるように、自分達の子供を持つことにしよう、父親は、違うけど、兄弟が、いれば、一人息子も、大人になったときに、異父兄弟と仲良く出来るかもしれない。難しい選択だったが、肉親が、ひとりでも、多いと生活に張りが出来るのでは?と信じて生きてきた。だから、子供達を作って、将来に備え、兄の存在を告げてきていた。いずれ、一緒に、なれることを夢見て、私が、不遇な生い立ちで、兄弟が、上に8人もいて、共に育たなくとも、生きていてくれる、それが、心の支えとなり、私が、今まで、様々なことに、耐えられてきた原因で、原点でもある。血縁の存在は、やはり、何より、心強い。私が、身にしみて一番、それを、感じている。これは、不遇な生い立ちにない人には、わからない気持ちかもしれない。でも、何より、私には、血縁が、大事だ。他人にとやかく言われる筋合いではない。兄と言い合いは、あるけど、兄は、兄だ。だから、何が、あっても、それは、それで楽しい。養父母には、そんな気持ちが、わからない人達だから、縁をきって良かった。養父母にも実父母の事と私の兄弟の事を、心配してもらいたかった。ところが、憎まそうとする、あきらかに、私とは、あわない。どういう了見の狭さが、そう言う性格になっているのか、私には、他人だから、わからない。実父母の悪口や、兄弟の悪口を、他人から、聞かされるなど、もってのほかだとおもう。養父母は、お金のことと介護以外、自分の兄弟と縁を切っていた。介護とて、自分の母親の面倒すら、みなかった人であり、養母の兄の家族にすら、まともなつきあいを、しない偏屈さがある。そんな生活ぶりを見てきて、私は、真っ平ごめんと思っていた、擁するに、わがまますぎる人だから、おつきあいしかねる。ただ、長年、そんなできない偏屈な生活をしてきた人達を、放っておいて、いいのだろうか?と、歳も歳だから、不憫だなと思い、介護の手伝いでも、してやろうかと、按じていた。ただ、肉親の悪口を、言われるから、近寄りがたい。やっぱり、因襲のない他人に介助してもらうのが、一番、割りきれるような方々なんではないだろうか?私とは、私が、幼いときから、考え方が、違うから、喧嘩が、耐えなくて、一緒にいるのが、苦痛だった、肉親だと思いこまされていたから、そんな人の介護をしてやらなければならないのかと、人生勉強にボランティアを、しながら、養父母に耐えられるように、訓練していた。でも、訓練すればするほど、養父母のわがままさに、ついていけないことが、わかった。人を思いやる感性が、ことごとく、あわない。不幸な生い立ちは、こうして出来上がった。だいたい、私が、困って悩んだときに、その苦しみを聞いて、その苦しみを喜びと感じて、日記に(枕を高くして寝れる)等と、書いているしょからであり、同胞として、共に生きられないのは、誰の目にもあきらかだ。日記を見るまでは、そんな人ではないんじゃないかなーと、たかをくくっていたんだけれど、性根が、違うなーとぶったまげたものだった。養父母に愛情をいだけないのは、私が、不幸になることを、喜ぶ人達なのに、戸籍を使って、いたぶりを、楽しまれていたからだった。親子の縁を切らないと自分の主眼が、おかしくなる。性根は、変えようがないだろう、誰にたいしても、そんな養母と養父だから、二重人格なんじゃないかと、思っていた。非常に怖かった。反面教師で、私は、いびつになりたくないって、生きてきた。いびつになるぐらいなら、生きている価値がない、そこまで、思い詰めていた。悪魔に魂を売っている人達にしか、見えない。気持ち悪いんだ。他人は、どういう評価を下しているのか、わからないが、誰かに愛されているのかなー?不思議な養父母でしかない。暇さえあれば、人の悪口だったからなー、それが、正常なのかと、みまごうところだった。すれきっているんだろう。不幸な人達だ。そんな家で育ったせいか、私にも悪習慣が残っており、迂闊に人とつきあえない。今は、自分を取り戻すときなんだろう。考えると、ざわざわする。だから、時々、自分を見失いかけて、怖くなる。同じ様にならないようにと、兎に角、その一点で、譲れないものがある。