なんだかわからん年寄りは。

養母から、一緒に、町にいきたいって言われていて、今日、連絡してみたら、今度は、連絡よこすな。だって、心配するな、色々まずいし、不都合があるんだ。だってさー、そういうやつだとは、思っていたんだけど、やっぱり、疲れるから、付き合わない方が、身のためかもしれない。6年間、死んでいるものと思っていたから、今まで通り、死んでいるものと思っていた方が、気楽では、あるんだけど、まー、嫌なおもいばかり、させられてきたから、おせっかいしなければならない、わけではないっし、敬老の日のお祝いでも、って思ったけど、養父母達は、自分達が、被害者ってことに、しときたいんだろう。私に、負い目が、あるだろうから、あいたくないんだろうな。口では、私が、悪いんだとも言っている、いいかげんなやつだからなー。だから、長生きするんだろうな。赤ちゃんだった私に、なんの責任があるんだ?子供を産めない女は、いくつになっても、わがままでいけない。もてあそばれただけの私。悲しいもんだわ。
昨日は、洗濯乾燥機が、配達されて、たまりにたまった洗濯物に、とりかかった。庭の掃除、家の修繕、子供達の事、仕事探しに、歯の治療もあるから、今更、鬱陶しいことが、ふえたことが、一寸、ショクだったけど、会いたくないって言われて、ホッとしたかも。そう言っちゃいけないんだろうけれど、実態だわ。親族に面倒見てもらっているんだろう。ずっと、そんな生活しかしていない人達、だからなー。羨ましいものだ。縁がない話だなー。

子供を産んだことのない人は、親の苦しみが、わからない。形式は、出来たとしても、共感、共鳴のポイントが、ずれている。みのもんたさん、あっこさんに言われて、かわいそう。 日本の歪みを、このふたりを対比させて、考えさせられてしまう。親の複雑な心境に苦言など、親でない人に言われたかない。聞きたくもないっし。
あっこさんの器量が、狭そうで、息苦しい。でも、日本社会って、こんなのが、基盤になりつつあるんだろうな。みのさんには、続けてほしい、人望ある人が、画面から、消えるのは、時代の節目みたいで、寂しい。

しなければならないことが、いっぱいなのに、する意欲が、10%位しかない。子供達という、生きがいが、奪われているからなんだろうな。